【第十八話:札幌軟石の運搬@】

 札幌軟石は採掘当初(明治8年)、馬の背の左右に1個ずつ軟石を渡し、計2個を運んでいたようです。建築用ですと1個が3切で、重量は約105s。2個だと合計で約210sです。
 この時代は豊平川に架かる橋と言っても、豊平橋(明治4年築・ホルト設計の橋は明治8年築)だけで、石山陸橋から真駒内を通過し平岸を経て豊平に運ばれていました。

 明治9年(1876)に上山鼻渡船場が現在の藻岩橋の辺りに設けられました。
 この渡船場は春から秋にかけては船で、冬は仮橋を架けて人・馬・石材などを渡しました。明治42年に馬車軌道が開通してからは縮小されましたが、昭和初期まで残っていました。
 この渡船場により、石山から真駒内・藻岩下・山鼻を通り札幌市内まで軟石を運ぶ道ができました。


藻岩橋を下流から見る

 藻岩下の「みゆき通」を南31条の歩道橋から見ると、その向こうに真駒内本町の通りが一直線に見えます。
 昔、真駒内公園のポプラ並木から山鼻渡船場を経て、真っ直ぐ南2条西11丁目まで軟石を積んだ馬車が通っていたのでしょう。


国道230号南31条の歩道橋から真駒内を望む

 一度その当時に思いを馳せて、南31条の藻岩下歩道橋に立ってみてはいかがでしょう?


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